寂しさ再生産
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mixiに疲れた人々の叫びから始まって、デジタルを使った濃密(に見える)コミュニケーションが実は寂しさを生産しているという事実を再確認。ここまで来ていると多分こころの病気なので、カウンセリングを受けることをお勧めします…。 #タイトルは日経の記事からで、ずいぶん前の記事なので読んだ方も多いと思われ。
で、結局mixiのアーキテクチャが何故こんなにも閑散として寂しいのか、とくればそれは広い意味での情報のトランザクションが少ないからでしょう、というのが今のところの僕の理解。 2chに代表される匿名掲示板のほうが有害無害はさておき、かなりのトランザクションがあり、打てば響く面白さもあり、かつ縛りが無く疲れない。言うまでも無いことですが、mixiが目指したと思われる濃密なコミュニケーションはとっくに匿名掲示板で実現されていた訳ですな。またあちこちで言われているように、かつてのパソコン通信も然り。
僕自身は2chそのものを巡回することはまったく無いのだけど、誰それのblog経由で2chで何か起こっていることを知り、見ることはある。かなり読みづらい日本語だけど、慣れてくると自分の読みたいことだけ斜め読みできるようになるから、それはそれで情報源としては使えるようになる。 片やmixiはどうか。そう思ってみてみると、なるほどコミュはいっぱいあるけど、閑散としているところも目に付く。この場合、共通の興味を持っている人(=コミュ)があり、かつ閑散としていないところを選ばないと、情報源としては使えないかもしれない。閑散としているところでは、打っても響かないだろう。 活発でいい雰囲気のコミュの場合、居心地のよい掲示板として成立する。これは疑う余地は無い。ただ、その先のトランザクションが日記と掲示板でいいのか?というのは疑問ですが。
この疑問への回答をも少しスマートに出来ると、SNSも次の次元にブレイクスルーできるのかもしれない。 #SNSなんてカッコつけず「健全な出会い系」と割り切れればすぐブレイクしそうなのだが…